華流時代劇に出てくる『和氏の璧』の由来とは?コウラン伝とミーユエのワンシーンより

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中国時代劇を見ていると、「和氏の璧(かしのへき)」という言葉を耳にすることがあります。

美しい宝石のように語られるこの名には、実は深い物語と教えが隠されています。

ひとつの原石をめぐって起こった出来事が、のちに歴史やことわざにも影響を与えたのです。

今回は、「和氏の璧」がどのようにして名宝と呼ばれるようになったのか、中国時代劇『コウラン伝 始皇帝の母』と『ミーユエ~王朝を照らす月』から、その由来と込められた意味をやさしく解説していきます。

“和氏の璧”とは?

ウィキペディア( Wikipedia )によると

和氏の璧(かしのへき、かしのたま)は、中国の春秋時代・戦国時代の故事にあらわれた名玉。『韓非子』(和氏篇十三)および『史記』に記される。連城の璧(れんじょうのへき)とも称する。

とあります。“和氏の璧” という宝物にまつわる故事が由来とされています。

“和氏の璧”の故事

中国の春秋時代に卞和(べん か)(または和氏)という人がいました。卞和は美しい玉の原石を見つけたので、楚の厲王に献上しました。しかし厲王が玉造り名人に鑑定させると、ただの雑石だと言われてしまいます。怒った厲王は、卞和の左足を切断する”足切りの刑”に処します。
 
厲王の没後、卞和は武王に同じ石を献上しましたが、また、雑石だと鑑定されてしまい、今度は右足の足切りの刑を下されてしまいます。
 
時は流れ、武王が亡くなり文王が即位するも、卞和は未だに石を抱いて泣き続けています。理由を尋ねると、「足きりの刑を受けたから泣いているのではない、その玉の価値をわかってもらえないうえに、忠節の人間なのに汚名を着せられたから泣いている」と答えました。文王は試しに玉造り名人に原石を割らせたところ、素晴らしい玉が現れました。文王は卞和を称えるため、その名玉に “和氏の璧” と名付けたといいます。

卞和は、春秋時代前期の楚の国に住んでいたとされます。当時の思想家・韓非が著した『韓非子』に「君主に真実を告げ、政治に役立ててもらいたいと思っても受け入れてもらえないものだ。こんなことを真似ては無残にも殺されてしまう者が後をたたないだろう」と記述されています。

このことから “和氏の璧” は「極めて珍しい宝物 / 真実を伝えることの難しさ」という意味を持つようになったそうです。

『コウラン伝』での “和氏の璧”

呂不韋が安国君に “和氏の璧” を献上するシーンがあります。

和氏の壁を手に入れた王
画像:コウラン伝 第24話より

貴重な宝物をたくさん持っている王(安国君)でさえも、“和氏の璧” を見て驚き大喜びします。それほど希少なお宝なんですね。

“和氏の璧” の言い伝えとは?

“和氏の璧” には言い伝えがあり、暗闇で鈍く光り、置いておくと夏は涼しく冬は暖かくしてくれるといいます。また、虫除け効果もあったとか。

中国時代劇『ミーユエ』で、その言い伝えが出てくるシーンがありました。

画像:『ミーユエ』第6話より

“和氏の璧” のまとめ

「和氏の璧」の物語は、ただの宝石の話ではありません。卞和(和氏)は、春秋時代前期の楚に住んでいた人物で、美しい玉の原石を王に献上したが、その価値をわかってもらえず、汚名を着せられてしまいました。

このことから “和氏の璧” は「貴重な宝 / 真実を伝えることの難しさ」という意味を持つようになりました。

和氏の璧が名宝として歴史に名を刻んだ理由は、その価値だけでなく、その価値を見極め、守り抜こうとした人々の心意気にあったからこそ。

時代劇でこの言葉を耳にした時、少しだけその歴史を思い出してみてください。きっと、物語がもっと深く感じられるはずです。

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